diff --git "a/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" "b/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" index 5f54091..94b8ace 100644 --- "a/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" +++ "b/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" @@ -6,3 +6,9 @@ 現代に至るまでの経済成長や科学技術の進歩は、情報の蓄積があってこそ実現できたものだ。しかし創作活動による著作権は富を生むため、多くの場合、創作者は著作の自由な改変を許可したくない。そのような創作者を法律は守る形で著作権を尊重している。過度の著作権保護は文明の進歩を遅らせると思うので避けるべきだ。 伊藤聡士 + +6章 創造と学習 + + 筆者はフリーカルチャーの思想の背景として、創造を行なうこととは常に先人の作り上げた構築物の上に自分の貢献を付け足すことであるという考えをあげている。この意見にはとても共感する。小さい頃、美術の授業などで作品を作る際、他の人の作品のいいところを真似したくなる時が時々あるのだけれど、でも真似っていうのは自分のオリジナルじゃないからずるい気がして悩んだ経験がある。確かに、他の人の何かを真似るという行為は学習しているということだよな、と最近思ったので、この箇所が印象的でした。 +  + 松岡 真遊子